◆オーストリア・オーベルンドルフ『“きよしこの夜”記念礼拝堂』でのミサ。
= 毎年12月24日17時より =
ザルツブルク近郊の町オーベルンドルフにおいて、天の偶然が今や世界中の人々に歌われる名曲を生みだしました。
フランツ・クサーバー・グルーバー は1807年にオーベルンドルフの近くのアルンスドルフという村にやてきて、22年あまり教師を務めました。また、学校の隣にある教会のオルガニスト兼、 管理人として1816年からはオーベルンドルフの教会のオルガニストでもありました。一方、ヨーゼフ・モールはザルツブルクで苦学して学校を出た後、司祭 となり、1817年にオーベルンドルフにある聖ニコラウス教会に副司祭として赴任して1819年まで務めます。その時モールと出合い、モールとグルーバー の友情は大変厚いものでした。
1818年、クリスマスを間近に控えたある日、モール神父が友人のグルーバー教師に、クリスマスのミサの間に演奏さ れるちょっとした曲を一緒に作ろうと提案しました。実は、聖ニコラウス教会のオルガンが「よくない状態」だったからでした。12月24日の朝、モール神父 はグルーバーのもとに歌詞を持ってきて、合唱をともなる2声用の曲をギターの伴奏で作曲してくれるよう頼みました。そしてその夜に、モールがギターを弾い てテノールを受け持ち、神父がバスで自らミサの時に演奏しました。当時の曲には題名もなく、ただのクリスマスソングとして、一回限りの曲となるはずだった のが、後にチロルのツィラータールからマウラッヒャーという人物が、オルガンの修理に来てその曲を持ち帰り、その後チロルで愛唱され、そこからドイツを経 由して、世界へとポピュラーになっていきました。後にはいろいろな伴奏形式による編曲がおこなわれています。
オーベルンドルフはドイツと の国境沿いのこじんまりとした町です。街のそばを流れるザルツァッハ川を超えると、そこはドイツです。昔はザルツブルク近郊で取れた岩塩はザルツァッハ川 を船で下り、各地に運ばれていきました。オーベルンドルフはその船乗りたちの集落でした。その町から川に沿って歩いて約15分のところに小さなチャペルが 建っています。その時代はここに聖ニコラウス教会がありましたが、度重なる川の氾濫の危険におかされて、1900~1906年に別の場所にあたらしい聖ニ コラウスが建てられました。そして1937年にその跡に「きよしこの夜」記念礼拝堂ができました。現在はこの記念堂で毎年12月24日17時からのミサで 「きよしこの夜」が歌われ、世界中から人々が参加しています。
情報提供:オーストリア政府観光局
Stille Nacht Kapelle Museum の公式サイト
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