◆ハンガリー・モハーチ、無形文化遺産『ブショー祭り』
= 2023年2月16日~21日開催 =
南ハンガリーの町モハーチ(Mohács)で例年カーニバルの時期に開催されている、秋田の「なまはげ」に良く似たブショー祭り(Busójárás)が2009年度、世界無形文化遺産に登録されました。
かつてオスマントルコ軍を奇抜な服装と恐ろしい音で追い出すために始まったといわれるこの祭りは、今では冬に別れを告げ、待ちわびた春の訪れを祝うお祭りです。
情報提供:ハンガリー政府観光局
Photo: (c)Wikipedia
モハーチの戦い(Wikipediaより)
モハーチの戦い は1526年8月29日にハンガリーのモハーチ平原で、ハンガリー王国軍とオスマン帝国軍による会戦。オスマン帝国軍が勝利し、ハンガリー平原へと進出する。
当時オスマン帝国はスレイマン1世の時代で、このころには1522年にはロードス島の聖ヨハネ騎士団を退けるなど国力は充実していた。スレイマン1世はベオグラードを「ヨーロッパの玄関」と言い、さらなるヨーロッパ進出に意欲を見せていた。
1526年の4月にスレイマン1世は6万以上の兵力と300門の大砲からなる大軍を催し、ハンガリー征服にイスタンブールからハンガリーに進軍した。迎え撃つハンガリー軍は20歳の国王ラヨシュ2世率いる3万の軍勢とトランシルバニア侯サポヤイ・ヤーノシュの援軍3万、姻戚のハプスブルク家やボヘミアからの加勢からなっていた。
ところが、オスマン帝国軍がドナウ川のほとりモハーチに姿を現すと、ハンガリー軍は援軍を待たずに戦いを挑んでしまう。オスマン帝国軍は組織的な戦術を展開し、騎士からなるハンガリー軍を誘導し一網打尽にした。ハンガリー軍は国王ラヨシュ2世が戦死したのをはじめ、壊滅的敗北を喫する。
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