◆フランス、世界遺産都市『ル・アーヴル』の魅力
皆さんはセーヌ河口の港町、ル・アーヴルをご存知でしょうか?
少年期をこの町で過ごしたクロード・モネが描いた港の姿は「印象・日の出」と名付けられ、後にここから<印象派>の名前が生まれました。地元生まれのラウル・デュフィは帆船のパレードなど、生涯に渡ってこの港をモチーフとして描きました。残念ながら今ではモネやデュフィが描いた当時の港の佇まいはありませんが、2005年に世界遺産となったこの町には興味深い見どころがたくさんあります。
ル・アーヴルを歩いていると、そこかしこに<火トカゲ>と<百合の花>の紋章が目につきます。この町は、16世紀の初め、イタリアからダヴィンチを招いたことでも知られるフランソワ一世の命により、老朽化した別の港の代わりとして築かれました。先の紋章はルネサンス期を代表する王様の印です。
そういうわけで町の名前はル・アーヴル=ド=グラース(Le Havre-de-Grace)<優美な港>に由来します。その後、優れた漁港として拡大し、貿易の発展や国の伸張に伴ってフランスを代表する商業港として大いに栄えました。現在はマルセイユに次ぐフランス第2の港です。
19世紀になって世の中が豊かになってくると、ヨーロッパではそれまでにはなかった新しい風俗や習慣が生まれてきます。その一つが海水浴。比較的水温が低いこともあって、それまで海は一般に漁をするための場所でした。やがて水浴が健康に良いという認識が生まれました。
新たに敷かれた鉄道を利用してパリから一番近い海水浴場としてル・アーヴルに人々が繰り出してきます。高台のサンタドレス地区には貴族や裕福な市民たちの別荘が立ち並ぶようになりました。うまく風をさえぎることができる地形がもたらす微気候も幸いし、人々はやがてそこに定住し始めるのです。
建築って面白い!
第二次世界大戦でル・アーヴルは町の75%以上が被災するという甚大な被害を被りました。国は戦乱で疲弊した重要な港湾都市を甦らせるため、住宅を失った人々に被災前の所有状況に見合った新たな住居を無償で提供することにしました。
戦後の1944年11月、一人の建築家に白羽の矢が立ちました。その人の名はオーギュスト・ペレAuguste Perret。そして彼がルアーヴルの再生に用いたのは鉄筋コンクリート、すなわち20世紀の主要な土木建築材料でした。60年以上を経た現在でもコンクリートの劣化を感じさせるものは目につきませんので、良質の材料が使用されたのでしょう。
ペレを筆頭とする設計チームは建物単体ではなく、サン・ジョゼフ教会を中心に据えた都市全体を総合的にデザインし、モダンな建物が整然と並ぶ都市空間を生みだしました。設計の基礎としたのは1辺が6メートル24センチのモジュールで、これをタテヨコに発展させて集合住宅を作りました。直線的で、空間に十分な余裕を持たせたアパルトマンはダストシュートも完備し、機能的で明るく、無駄を排除したデザインです。
1950年代に作られたアパルトマンが数年前から一般に公開されています(予約制)。居室には市民から提供された家具や生活用品が展示され、当時の暮らしぶりをよく伝えています。建築やインテリアなどを研究している方々にはたいへん興味深い素材ではないでしょうか。
町の中心にそびえるサン・ジョゼフ教会も鉄筋コンクリートで作られました。ゴシック様式の尖塔を持ち、高く高く空に向かって伸びる建物の四面にはステンドグラスが整然と埋め込まれています。堂内に射す柔らかな色とりどりの光は、時とともに床から壁へとその居場所を移してゆきます。無機質で冷たい印象になりがちな素材に温かみと安らぎを添えています。
情報提供:フランス観光開発機構